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ペルシャ絨毯 覚え書きHOME > ペルシャ絨毯の概要

ペルシャ絨毯とは?

ペルシャ絨毯という言葉

一般的に、「ペルシャ絨毯」とは、手織り絨毯の中でも特にイランで織られた手織絨毯を指してそう呼ばれています。

「ペルシャ」という言葉

「ペルシャ」という言葉は、イランの古い呼び方です。1935年に当時の国王レザー・シャー・パフラヴィーが、諸外国に対し「ペルシア王国」から「イラン王国」への国名の変更を要請しました。

近代化を推し進めたパフラヴィー皇帝が、古代アーリア人の栄光を国家発揚のスローガンにしたため、また当時のドイツの影響からとも言われています。

レザー・シャー・パフラヴィー

その後数十年、呼び方の混乱があり、事実上は「ペルシャ」と「イラン」の併用が続いたのち、1979年のイスラム革命で、正式な国名が「イラン・イスラム共和国」と定められ、現在は国名として「ペルシャ」は使わていません。

表記として「ペルシャ」と「ペルシア」がありますが、"PERSIA"を日本語でどう表記したか の違いで、本質的には同じです。

「イラン絨毯」とはあまり呼ばず、もっぱら「ペルシャ絨毯」と呼ばれる理由は、パーレビーさんには申し訳無いのですが、人々に与える様々な印象がネーミングとして「ペルシャ」に敵わなかったのかもしれません。

「手織り絨毯」とは

「手織り絨毯」とは何でしょうか?手織り絨毯に対する言葉として、「機械織り絨毯」があります。機械織りの敷物が本格的に始まったのは19世紀になってからですので、18世紀以前からの手法で作られたものが手織り絨毯です。

手織り絨毯の織りの細かさには様々な程度があり、1cm×1cmの面積に結び目の数が10個×10個以上のものになると、ほんとうに人の手で作られたものかと疑うひともいるくらいの細かさになります。

手織絨毯は、カスピ海周辺の中央アジアから中東にかけてのイラン系、チュルク系などの民族によって紀元前から脈々と作り続けられて来た生活必需品です。

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この伝統的な手織り絨毯は、素材にウールやシルク、コットンを用いて、人の手によって結び織られる敷物です。民族や地域によって意匠、構造にそれぞれ特徴があり、制作行程にも様々な工夫が凝らされ、芸術性の高い手工芸品として生産されます。主に実用品、さらに美術品、コレクターズ アイテムとして、現在ではペルシャ絨毯は、広く世界中に知られ、盛んに取引されています。

カシャン産のシルクカーペット

ペルシャ絨毯などの手織り絨毯が、他の布製品と大きく異なるのは、構造として経緯の糸を覆うようにパイル(毛羽)糸が密に結ばれている点にあります。この空気層を包含できるパイル構造を持つ事により、断熱と緩衝の役を担う能力が格段に増し、自らを保護する能力をも獲得して、敷物として最適なものと成り得たわけです。さらにこの絨毯の全面を覆うパイルは、一つひとつを点を打つように結ばれるため、ドットで描く点描画のように表現のメディアとしての機能も持つわけです。

手織り絨毯を作り始めたのは、恐らく、羊や山羊を飼い、季節を追って遊牧の暮らしをしていた民族たちだと考えられています。始めは羊毛を集めてフェルトのような物を作り、移動テントの床にも敷いていたものと思われます。いつの頃からか、定かではないのですが、絨毯が発明されました。初期のものは「イラン遊牧民の素朴なペルシャ絨毯」と呼ばれている、ギャッベのような粗い織りの絨毯であったと思われます。

手織り絨毯は、実生活に於ける使用の上では非常に堅牢で、布製品としては過酷、長期の使用にも比較的よく耐えます。しかし、僅かな例外を除いて、考古学的な資料としては残念ながら(繊維製品としては当然ですが)、ほとんど跡形も無く失われてしまい、今に残されていません。

例外的に時間旅行をして現代の我々に会いに来てくれた絨毯があります。

原型を留め、現存する最古の絨毯、パジリク絨毯

パジリク・カーペットと呼ばれる手織り絨毯です。パジリクは地名に由来する<Pazyryk>。場所は、現在のロシア、シベリア地域の中でも南の方で、アルタイ山脈の

パジリク・カーペット

手織り絨毯の詳細については、ペルシャ絨毯の構造のページも関連あります。

このサイトでは、今のところ、機械織り絨毯に関しては、例え現在のイランイスラム共和国で作られたものだとしても、構造的に手織り絨毯ではないので、積極的にペルシャ絨毯とは呼びません。将来、絨毯を織る機械が進化して、手織り絨毯を織るアンドロイドなんかが出て来たらどうしましょう。人の手と同じ動きが出来るロボット、心まで人に似たロボットが生まれてくるかもしれません。でも...いまのところは、そうではないので、機械織り絨毯は別物にしておきます。

イラン以外の地域で作られた手織り絨毯は

WTOの協定の「知的所有権の取得可能性、範囲及び使用に関する基準」の中に「ペルシャ絨毯」などの地理的表示は、単なる商品の出所地名ではなく、その商品の品質・名声・特性が原産地に主として起因する表示であるとして、公衆を誤認させるような地理的表示の使用の禁止、商標登録の拒絶・無効化されるべきである、として加盟国に協定の履行を求める旨の記述があります。

言葉ですから狭義・広義で含む内容は変わってくるので、実際のところの国境線で区別する必要はないのではないかと思います。しかし、商品名として使う場合は現在のイランイスラム共和国産の手織り絨毯のことである、としておいた方がいいのかもしれません。

広義・狭義とは、
例えば、狭い意味のペルシャ絨毯とは、所謂イランの5大産地(とそのコピー産地)などで盛んに生産されている「ペルシャ絨毯」だ、と言えます。これは、16世紀にシャーの王室工房などで栄え、頂点を極めた後、アフガンの侵入によって一時途絶え、19世紀に復活したある程度の規模を持って商業的に行われる絨毯の生産などによってつくられる手織り絨毯で、作った国の古の呼び方で表されます。
もう一つは、定住、半定住、遊牧に限らず、数千年間受け継がれて来た絨毯作りによって生み出される広い意味のペルシャ絨毯です。この「ペルシャ絨毯」は、ペルシャ文化圏に含まれた沢山の民族・部族を内包して広がっていて、外との境界線はグラデーションになっています。もともと遊牧民の生活の一部であった絨毯ですので、国境線では区別できないのは当然だと思います。

この意味で言えば「イラン以外の国で織られたものをペルシャ絨毯と称しているものは偽物だ」と言うような意見はちょっと厳しいものだとおもいます。

ただ、意図的に似せたものを作ってペルシャ絨毯の名前をつけて売る「偽物」もあるので厳しく考える向きがあるのは仕方がないかなとも思います。

イランのお隣の国、トルクメニスタンで絨毯を織る人々は自分たちの織る絨毯をペルシャ絨毯だと思っているでしょうか?恐らく思っていないのでは無いかと思います。イラン国内で作られたトルクメン族の絨毯は実際にペルシャ絨毯と呼んでも間違いではないと思います。これら二つの絨毯の

手織り絨毯の歴史

アルダビールカーペットの画像。著作権は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館にあります。

アルダビールカーペットの画像。著作権は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館にあります。

参考文献:


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